足立区について
概要
東京都区部(東京23区)の北東部に位置し、隅田川と荒川に挟まれた地区と、面積の大半を占める荒川以北の地区とに分かれている。
武蔵国の足立郡が、1878年(明治11年)に南北に分かれた南足立郡の10ヶ町村が前身。「足立」の由来は、もと万葉仮名で「阿太知(平仮名の元となった漢字を当てたもの)」だったとみられるほか、「葦立ち(アシダチ)(荒川河川敷に葦(アシ)が立ち並んで生えていたことから)」に転じたもの。なお、東京市による最初の区名原案は「千住区」(せんじゅく)だった(奥の細道の松尾芭蕉出立の地だったことから)。
南東の荒川南岸に位置する千住地区は、江戸時代には日光街道と奥州街道の第1宿「千住宿」であり、現在はターミナル駅である北千住駅を擁する区内随一の繁華街となった。綾瀬なども足立で有名な繁華街となっておりJR常磐線や東京メトロ千代田線の駅もあり、県外から仕事に来る人も多い。
人口
総人口665,179人、総世帯数316,416
住民基本台帳 世帯数300,892(男324,941人、女316,947人、男女計641,888人)
外国人登録数 世帯数15,524(男10,120人、女13,171人、男女計23,291人)
足立区公式サイトにおける区発表「足立区の町丁別の世帯と人口(最新版)」2010年(平成22年)1月1日現在 による
区の沿革
明治22年以前 | 明治22年5月1日 | 明治22年 - 昭和3年 | 昭和4年 - 昭和17年 | 昭和18年 - 現在 |
---|---|---|---|---|
足立郡千住宿 | 南足立郡千住町 | 南足立郡千住町 | 東京市足立区 | 東京都足立区 |
足立郡千住宿掃部宿 | ||||
足立郡西新井村 | 南足立郡西新井村 | 南足立郡西新井町 | ||
足立郡興野村 | ||||
足立郡本木村 | ||||
足立郡梅田村 | 南足立郡梅島村 | 南足立郡梅島町 | ||
足立郡島根村 | ||||
足立郡栗原村 | ||||
足立郡小右衛門新田 | ||||
足立郡鹿浜村 | 南足立郡江北村 | |||
足立郡鹿浜新田村 | ||||
足立郡加賀皿沼村 | ||||
足立郡高野村 | ||||
足立郡沼田村 | ||||
足立郡谷在家村 | ||||
足立郡宮城村 | ||||
足立郡小台村 | ||||
足立郡堀之内村 | ||||
足立郡舎人村 | 南足立郡舎人村 | |||
足立郡古千谷村 | ||||
足立郡入谷村 | ||||
足立郡竹塚村 | 南足立郡渕江村 | 南足立郡渕江村 | ||
足立郡六月村 | ||||
足立郡保木間村 | ||||
足立郡伊興村 | 南足立郡伊興村 | |||
足立郡大谷田村 | 南足立郡東渕江村 | |||
足立郡佐野新田 | ||||
足立郡長右衛門新田 | ||||
足立郡普賢寺村 | ||||
足立郡北三谷村 | ||||
足立郡蒲原村 | ||||
足立郡弥五郎新田 | 南足立郡綾瀬村 | |||
足立郡次郎左衛門新田 | ||||
足立郡五兵衛新田 | ||||
足立郡伊藤谷村 | ||||
足立郡花又村 | 南足立郡花畑村 | |||
足立郡久左衞門新田 | ||||
足立郡六ツ木村 | ||||
足立郡嘉兵衛新田 | ||||
足立郡久右衛門新田 | ||||
足立郡辰沼新田 | ||||
足立郡内匠新田 | ||||
足立郡長左衛門新田 |
足立区 舎人について
地理
東京都足立区の北西部に位置し、同区の最北端であり、なおかつ東京23区の最北端でもある。地区の北と東を毛長川を挟んで埼玉県と、南を古千谷本町と、西を入谷と接する。その土地は北部を流れる毛長川の土砂堆積によって形成された自然堤防から成り、区内でも比較的安定した地域である。また先述の河川堆積物のために、平均海抜1-2メートル(南部はゼロメートル)の足立区内において舎人地域は4-5メートル程の標高がある。なお、舎人一丁目にある足立区立舎人小学校敷地の海抜5.5メートルが舎人の最高点である(足立区内の最高地点は舎人公園朝日の広場(足立区のホームページ)で、海抜はおよそ13メートル)。舎人は、北で埼玉県草加市遊馬町・川口市東本郷、東で川口市本蓮・足立区入谷、南で足立区入谷、西は草加市新里町・足立区古千谷本町と隣接する。
歴史
総人口665,179人、総世帯数316,416
住民基本台帳 世帯数300,892(男324,941人、女316,947人、男女計641,888人)
外国人登録数 世帯数15,524(男10,120人、女13,171人、男女計23,291人)
足立区公式サイトにおける区発表「足立区の町丁別の世帯と人口(最新版)」2010年(平成22年)1月1日現在 による。
江戸城は太田道灌によって築城され、千代田の城と呼ばれた。 後北条(小田原)64城の一つとして城郭3城から構成。(千代田・舎人・西葛西) それぞれの城郭には城主がおり、全体を統制したのは後北条の重臣の遠山綱景。 舎人城郭は、現在の足立区舎人公園にあり、城主は舎人源太左衛門経忠。 当時、関東管領をめぐって上杉との謀略戦争が多発。 江戸城内で、国府台(千葉県市川市)で第2次戦争で遠山綱景、舎人経忠は戦死した。 里見八犬伝の元ネタともいわれる。 秀吉は小田原攻めで勝利し、家康に関東管領を与えた。 家康は、後北条とは縁戚関係にもあり、小田原家臣を召し江戸城・名古屋城・駿府城を整備した。
もともとこの地は舎人町と呼ばれており、現在の入谷・古千谷や鳩ヶ谷などを範囲に含む舎人領と呼ばれていた地域の中心地であった。かつては他の地区と同じように舎人村と呼ばれていたのが、元禄頃には舎人町と呼ばれるようになったことが確認されている。
舎人町は、隣接する入谷村・古千谷村内に多数の飛地を有していた。1871年12月25日(明治4年11月14日)に、入谷村・古千谷村は現在の足立区を構成する他の地区と同様に東京府に編入されたが、舎人町だけは埼玉県に編入された。このことによって水利権の問題などに混乱が生じたため、舎人・入谷いた・古千谷の住民の間で舎人町の東京府編入運動が起きたため、1875年11月15日には舎人町は入谷村・古千谷村と同じく東京府に属することになった。これらの飛地は、土地区画整理事業の完了に伴う地名の再編や住居表示のなどによって整理されつつある。
1871年12月25日 - 舎人町が埼玉県に編入される。
1875年11月15日 - 舎人町が東京府に編入される。
1889年5月1日 - 舎人町が周辺の村と合併し、舎人村が新たに誕生する。それまでの舎人町は舎人村大字舎人となる。
1932年10月1日 - 南足立郡が東京市足立区となる。大字舎人は舎人町となる。
1964年4月1日 - 舎人土地区画整理事業の完了に伴い、舎人町・入谷町の一部が舎人一~五丁目に再編される。
1971年5月1日 - 舎人町の一部に住居表示が実施され、皿沼三丁目に編入される。
1985年2月1日 - 舎人町・入谷町の一部に住居表示が実施され、舎人六丁目が設置される。また同日、舎人町の一部に住居表示が実施され、入谷三・四・六・七・八・九丁目に編入される。
1989年5月15日 - 舎人町の一部に住居表示が実施され、入谷五丁目に編入される。
1993年8月1日 - 舎人一・四・五丁目に住居表示が実施されると同時に、入谷一・二丁目、古千谷四丁目との町界が一部変更される。
1995年7月24日 - 舎人二・三丁目に住居表示が実施されると同時に、古千谷本町一~三丁目との町界が一部変更される。また同日、舎人町の一部地域に住居表示が実施され、舎人三・四丁目に編入される。
1997年3月1日 - 舎人町の一部に住居表示が実施され、舎人公園に編入される。舎人町の一部が、舎人公園内に、残存している。住民数はいない。入谷町とともに残存しているが、古千谷1,2丁目、西伊興町とともに、舎人公園の住所に変更になる予定。(足立区区役所による)
地名の由来
「舎人(とねり)」という独特の地名について、その由来は諸説あり定かでない。ここで詳細は資料不足のため明記できないが、主な「舎人」名由来説を紹介する。
土豪舎人氏由来説
舎人親王由来説
地形名称由来説
アイヌ語由来説
古代出雲豪族由来説
聖徳太子由来説
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
舎人一丁目 | 894世帯 | 1,794人 |
舎人二丁目 | 1,223世帯 | 2,679人 |
舎人三丁目 | 1,225世帯 | 2,747人 |
舎人四丁目 | 655世帯 | 1,469人 |
舎人五丁目 | 1,963世帯 | 4,148人 |
舎人六丁目 | 1,162世帯 | 2,373人 |
計 | 7,122世帯 | 15,210人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。なお、足立区では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。ただし、小学校に関しては、2018年(平成30年)度から学区域または学区域に隣接する学校のみの選択になる。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
舎人一丁目 | 全域 | 足立区立舎人小学校 | 足立区立入谷南中学校 |
舎人二丁目 | 1〜10番 | ||
その他 | 足立区立舎人第一小学校 | ||
舎人三丁目 | 4番以降 | ||
その他 | 足立区立舎人小学校 | ||
舎人四丁目 | 全域 | 足立区立舎人第一小学校 | |
舎人五丁目 | 13番以降 | ||
その他 | 足立区立舎人小学校 | ||
舎人六丁目 | 4〜8番 | 足立区立舎人第一小学校 | |
その他 | 足立区立足立入谷小学校 | 足立区立入谷中学校 |
交通
- 新交通システム
- 東京都交通局 日暮里・舎人ライナー■舎人駅 / 見沼代親水公園駅
- 道路
- 東京都道58号台東川口線(尾久橋通り)
- 東京都道104号川口草加線
- 橋梁
- 新砂小路橋
- 砂小橋
- 舎人二ツ橋
施設
- 行政
- 舎人区民事務所
- 入谷住区センター
- 保育・教育
- 足立区立舎人小学校
- 足立区立舎人第一小学校
- 足立区立いりや第一保育園
- 足立区立いりや第二保育園
- 聖保育園
- 文化
- 足立区立舎人図書館
- 公園・児童遊園
- 見沼代親水公園
- 舎人いきいき公園
- 舎人緑道公園
- 舎人町公園
- 舎人四丁目公園
- 舎人児童遊園
- 舎人第一児童遊園
- 舎人一丁目児童遊園
- 舎人第二児童遊園
- 企業・団体
- 境川部屋
足立区 入谷について
地理
足立区北西部の舎人地域西部に位置し、足立流通センターを擁する足立区の流通業の基幹地区である。北を舎人および毛長川を挟んで埼玉県川口市と、東を古千谷本町と、南を舎人公園、皿沼および加賀と、西は新芝川もしくは毛長川を挟んで埼玉県川口市八幡木・江戸袋・本蓮とは陸続きで接する。
1970年代頃まで、入谷は農耕を主体産業とした近郊農業地域であった。その後の土地区画整理事業が実施され街区とそれを連絡する計画道路が整備されてからは町域全体で住宅市街地の造成が進み、同時期に足立流通センターの完成と首都高速川口線の足立入谷出入口の開通を以て、足立区の物流・流通の拠点地域として発展した。複雑に混在していた町域南側で隣接する諸町との飛地も整理され、舎人公園などの広大な総合レクリエーション施設も整備されている。
町域やや西寄りを南北に縦貫する首都高川口線を境とした地内西部(入谷七・八・九丁目)は倉庫、工場、資材保管所、業務車両用駐車場などが目立つ準工業地帯であり、流通関係施設などが多数所在する。 高速東側はさらに南北に分けられ、南側(入谷六丁目)は流通施設の中心としての流通センターとトラックターミナルが稼動している。北部(入谷一・二・三・四・五丁目)は住宅街の中に足立区内でも比較的多くの公園があり、入谷でも最も古くに開かれた地区に当たり、閑静な住宅地が広がる。
地名の由来
毛長掘から「入り込んだ」湿地。低地帯(谷)を示す地名である。 江戸時代に入谷村として登場する由緒ある地名。徳川幕府により編纂された『新編武蔵風土記稿』の入谷村。 なお入谷という地名は各地にある名前で、江戸の入谷(現:台東区)も著名。 明治には舎人村大字入谷となり足立区になるとき入谷町となった。 区画整理終了後、1985年(昭和60年)~1993年(平成5年)にかけて、順次現在の入谷一~九丁目の町が構成された。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
入谷一丁目 | 1,019世帯 | 2,183人 |
入谷二丁目 | 662世帯 | 1,500人 |
入谷三丁目 | 555世帯 | 1,148人 |
入谷四丁目 | 425世帯 | 973人 |
入谷五丁目 | 217世帯 | 528人 |
入谷六丁目 | 33世帯 | 33人 |
入谷七丁目 | 322世帯 | 667人 |
入谷八丁目 | 480世帯 | 987人 |
入谷九丁目 | 556世帯 | 954人 |
計 | 4,269世帯 | 8,973人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。なお、足立区では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。ただし、小学校に関しては、2018年(平成30年)度から学区域または学区域に隣接する学校のみの選択になる。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
入谷一丁目 | 全域 | 足立区立舎人小学校 | 足立区立入谷南中学校 |
入谷二丁目 | 1〜6番 | ||
その他 | 足立区立足立入谷小学校 | 足立区立入谷中学校 | |
入谷三丁目 | 全域 | ||
入谷四丁目 | 全域 | ||
入谷五丁目 | 全域 | 足立区立舎人小学校 | 足立区立入谷南中学校 |
入谷六丁目 | 全域 | ||
入谷七丁目 | 2〜8番 | ||
1番 22番以降 |
足立区立皿沼小学校 | 足立区立加賀中学校 | |
その他 | 足立区立足立入谷小学校 | 足立区立入谷中学校 | |
入谷八丁目 | 全域 | ||
入谷九丁目 | 全域 |
交通
町域内は自動車道路の整備が比較的行き届いており、住民の主な利用交通機関も自家用車や公共路線バスなどが主体である。言い換えればこれは鉄道交通の未発達さを表しており、これまでの都心方面や足立区中心部へのアクセスには路線バスが活躍していたが、自動車手段による朝夕の交通混雑の発生による安定運行の不安定さや大気汚染などから、きわめて不便さを強いられていた。 町域全体が鉄道交通機関から距離的に隔絶された鉄道空白地帯に属していたが、2008年3月30日に日暮里・舎人ライナーが開業し、山手線および東京メトロ千代田線などへ連絡の利便性が飛躍的に向上したため、入谷の住生活・住環境は大きく発展することが見込まれている。
鉄道
- 日暮里・舎人ライナーが通るが、駅は設置されていない。舎人に位置する舎人駅が最寄駅となる。
バス
道路・橋梁
- 道路
- 首都高速川口線 足立入谷ランプ
- 東京都道58号台東川口線(尾久橋通り)
- 東京都道104号川口草加線
- 東京都道106号東京鳩ヶ谷線(鳩ヶ谷街道)
- 東京都道239号足立川口線
- 橋梁
- 入谷大橋
- 南平大橋
- 中井橋
施設
- 保育・教育
- 足立区立足立入谷小学校(入谷三丁目)
- 足立区立入谷中学校(入谷三丁目)
- 足立区立入谷南中学校(入谷一丁目)
- 流通
- 足立流通センター(入谷六丁目)
- 足立トラックターミナル(入谷六丁目)
- 北足立市場(入谷六丁目)
- 公園
- 入谷中郷公園(入谷一丁目)
- 入谷緑地公園(入谷一丁目)
- 舎人十号公園(入谷一丁目)
- 入谷日の出公園(入谷一丁目)
- 入谷中郷北公園(入谷二丁目)
- 舎人七号公園(入谷二丁目)
- 入谷中央公園(入谷四丁目)
- 舎人十二号公園(入谷五丁目)
- 舎人三号公園(入谷七丁目)
- 入谷八丁目公園(入谷八丁目)
- 舎人中丸公園(入谷八丁目)
- 舎人四号公園(入谷九丁目)
- KITファミリー広場(旧舎人第一号公園)入谷九丁目
史跡
- 北野神社(入谷一丁目11-12)
- 入谷氷川神社、入谷古墳(入谷二丁目25-5)
- 円通寺(入谷一丁目6-8)
- 南光寺(入谷一丁目19-20)
- 源証寺(入谷二丁目15-25) - 天文元年(1532年)創建の古刹である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用