住宅新報に掲載いただきました。

凛として輝く女性たち 一般社団法人不動産女性塾 わが街「100年の計」


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私自身の不動産業のルーツは、今は亡き祖父の小金井俊輔が書いた『舎人の街づくリー地域からの発想—』という本にある。そこには『国家100年の大計』という言葉があるなら、わが街にも『100年の計』あってしかるべきだ」という祖父の強い思いが記されている。地元で不動産業を始めた祖父の思いは、1967(昭和42)年2月から始まった足立区の区画整理事業につながっていく。
“本から引用させていただくと”

「このまま、手をこまねいて東京の都市化の波をひっかぶればわが街はどうなる。環七と荒川に囲まれた地域の様に一間道路に家がみんな張リ付いてしまう。もしも災害があった場合緊急自動車は入れず、消火活動もできない。命の保証がない街となる。それでも良いか?わが子、孫の世代を考えると今、我々が神輿を上げなくて誰ができよう。望ましい街づくりのアクションを起こすのは正に今この時である」

一念発起した祖父の信念に、多くの方が賛同してくれた。しかし、区画整理事業に反対する勢力も強く、町の説明会開催のたびに心ない罵声を浴びせられながらも、東京都に数え切れないほどの陳情に出向き、4年目にしてようやく区画整理事業決定にこぎつけた。更に祖父は1974(昭和49)年には「地域の発展には交通機関の誘致しかない」と提言し、9600余名の署名を集め、区議会を動かし「日暮里・舎人ライナー」開通に生涯尽力した。今、舎人の街並みを歩くと都市高速道路等幹線道路が整備され、都内で5番目の大きさの舎人公園があり、立派な邸宅が立ち並んでいる。ライナーは今や1日の平均乗降人員が9万人だ。私のこうしたルーツが、不動産女性塾の北沢艶子塾長に強く魅かれた理由の一つになっているように思う。祖父はわが街を愛すると共に、その理想に燃え『地域の町づくり』にまい進してきた。わが街を広げてみれば、それは足立区であり、東京であり、わが日本であることを常に念頭において物事を考え、行動してきた祖父に北澤塾長の姿が重なって見える。
不動産女性塾とご縁をいただいて、多くの学びの機会を得られることに心より感謝している。この先も学んだことを生かし、地域の方々に、また次の世代に輸が広げられるような仕事をしていきたいと切に願い筆を置きたいと思う。

まつお はるよ
(有)小金井不動産代表取締役 宅地建物取引士
1963(昭和38)年に地元で開業した祖父の意思を継ぎ、両親を含めて親子3代で地域密着型の経営を営む
土地の売買仲介、倉庫・駐車場の仲介・管理を幅広く手掛ける